怪談「徒然草子」

徒然なるままに、きいぼうどと心にまかせて、古典狂の怪談童話創作家の結果的にここだけの怪しいかもしれない話

伝聞昔話「興義夢応の鯉魚を描く」(雨月物語より)

  伝聞昔話「夢応の鯉魚を描く」

 

 延長のころです。

 三井寺に興義という僧がいました。

 興義は画の名人として有名でした。

 

 仏像に山水、花鳥だけでなく、寺の仕事が暇な時は、湖に舟を浮かべ、釣りなどをしている泉郎に銭を与えて獲った魚を舟から放ち、その泳ぎ踊る姿を画に描いていたのでした。

 興義の画は年を重ねるほど細妙になっていきました。

 

 ある時、興義は画に心を凝らし眠気にさそわれました。

興義は夢を見、夢の中で湖に入りました。

「おぉ、なんという光景。魚たちの生きる姿をしっかりと見ることが出来る」

 興義はそう言い、喜びました。

 

 興義は魚たちに合わせて、手をふり足をふり、心のままに大変に魚と遊び、踊り、たわむれたのです。

 夢の中では興義は魚たちと思うようにたわむれることが出来たのでした。

 魚たちは自分たちの姿を興義に見せるように美しく泳いだのです。

 興義はその魚たちの姿を喜びました。

 

 目が覚めたら、興義はその夢を見たままに描いたのでした。

 その画を壁にはり、夢応の鯉魚と名付けたのでした。

 その画は評判になり、多くの人が興義に欲しいと頼んだのでした。

 

 興義は花鳥山水の画は欲しいと思うままに与えましたが、夢応の鯉魚は強くおしんだのでした。

 生を殺し鮮を喰う凡俗の人に

 法師の養う魚必ずしも与えず

 興義は人々にこう歌ったのです。

 興義は画の出来と、その歌によって天下に広く知られたのでした。

 

 ある日のことです。

「私はもうすぐ死ぬだろう。死ぬ前にやらないといけないことがある」

 興義はそう言うと、夢応の鯉魚を手に取り湖に行きました。

 興義が夢応の鯉魚を湖に散らせば、画の魚たちは画から出て、生きた魚となって湖に泳いでいったのです。

ですから、夢応の鯉魚は今に残っていないのでした。

 

聞き伝える昔の話でございます

 

雨月物語から夢応の鯉魚の初めの部分と最後です。

好きな話です。

 

なんか書いてて楽しかったな。

雨月物語好きだな。

放屁とかよりもやはり楽しいな。

小泉八雲さんも書いてますね。

むおうのりぎょと読みます。