「枕草子」と「徒然草」
「枕草子」と「徒然草」の違い
作者の立場が全く違うので、思想も全く違います。
「枕草子」の清少納言は中宮定子の女房さんという秘書のような立場なので、権力争いのど真ん中です。
読んでて楽しいのは枕草子かなと思います。
枕草子はどうすれば面白いのかを考えているのが特徴です。
で、その答えは少し過激な話をところどころに入れるだと思います。
恋人との共寝の後はどうしてほしいかとか、政敵をぼろくそにけなしたりとか。
お上品な話ではないのです。
共寝のあとは会話の続きでもして、人目もあるから出ていかないとだめですよと女に押し出されるようなのが良いと言います。
現実は、さっと服を着て、暗闇の中であたふたと扇を探すのような男ばかりと言います。
枕草子には過激な本音が入っています。
そうなった理由は後半にきれいごとだけ書いてもつまらないでしょうからと書いています。
ただ、歌人の清原元輔の娘なので、きれいな文章も出てきます。文才のある人が過激な本音を書くから楽しいのです。
花とか季節の文章も宮中の優雅な暮らしを想像できて楽しいですよね。
読んで楽しい文章を意識して書かれた文章です。
問題は敬語が多い。
古文の敬語は試験に使われますからね。
なので枕草子は過激な本音と当時の上流階級の生活の両方を楽しむことが出来ます。
徒然草は、最初に破いて捨てるための文と書いてあります。
照れがあるのでしょう。内容は基本的に説教です。
説教を書くので基本的に身を削る真似はしません。
内容は愚痴っぽいですが。
あとは日記のように雪が見事な日に、その雪に触れずに用事だけ書いた文を送ったら無粋と怒られたという話もあります。
徒然草と枕草子を両方読むと、道長の作った法成寺が荒れ果てた様が徒然草にあり、何とも言えない思いがこみ上げます。
荒れた法成寺のように、道長たちは負けます。荒れた寺に枕草子にも出てくる藤原行成の字が見事に残ってるとあります。
吉田兼好は法成寺を権力はこの寺のように残らないと書いてありますが、権力は残っていませんが、清少納言と吉田兼好の二人の文章でも彼らの生きた足跡は感じることが出来ます。
徒然草は清貧の勧めでもあります。ミニマリストが流行ってるので、今の時代に会っているかもしれません。
あとは、今の人ではかけない女性に対しての悪口が書いてあります。
ぜったいに今だったら無理だったよねを古典の言葉でつかえる可能性もあります。
私はそちらの使い方はしませんがね。ストックはしておきます。
悪いのは兼好さんだから~~兼好さんが悪いから~~で女性批判は出来なくもないです。
個人的にはそこまで書くのだからなんかあったのだろうなと思います。
吉田兼好さんは財テクが得意ですが、字も歌も得意なので恋文の代筆などをしています。
それについては、代筆をしなければ出来ないことはやめろと書いてあります。
嫌だったみたいですね。代筆の文を見ないで捨てられた経験は嫌な思い出だそうです。
徒然草には天皇は人ではないのでその栄華は揺るがないと書いてますが、時代的には揺らぎ始めてる頃ではないのですかね。実をとらない貴族が実を重視する武士たちにやられ始めるころかなと思います。
今昔物語から武士って怖いよねって話があるのです。
徒然草のほうが、時代的な感覚の違いを強く感じるかもしれません。
結果的にか意図的にかは分かりませんが、けっこういろいろな考えが書いてあるので楽しいと思います。
べつに前と違ってもいいじゃないですか。
江戸時代になると貴族たちは位階だけで収入は激減します。歌を書いた短冊などを売って内職としていたようです。
天皇筋だと一枚数両で売れ、お土産として人気があったと言います。
いちおう随身だと江戸時代でも月代じゃなくて総髪でも良いんじゃないですかね?
どうなんでしょう?江戸時代だと公卿だけですかね?
わざわざこのブログに来て下さった貴方を私は勝手に大切に思います。