怪談「徒然草子」

徒然なるままに、きいぼうどと心にまかせて、古典狂の怪談童話創作家の結果的にここだけの怪しいかもしれない話

伝聞昔話・アナトールの母の語った物語「七理靴」(世界の名作集より)

    伝聞昔話・アナトールの母の語った物語「七理靴」

 

 母はよく、

「私には想像力がない」

 そう私に言っていました。

 母は、想像力とは千夜一夜物語のシェヘラザードがシャフリヤール王に語った夢物語を考えることだと思っていたのです。

 えぇ、母は間違っています。

 母には、地に足のついたしっかりとした思いやりと想像力があったのです。

 そんな母の語った物語です。

 

 道は川によく似ています。

 それは川が道だからでしょう。

 川は自然が作った道です。

 その道を人は七里靴をはいて渡るのです。

 七理靴とは船のことです。

 

 七理靴という言葉は舟を表すのにぴったりだと思いませんか。

 なので、道は人が人のために作った川のようなものなのです。

 道は私たちのおじい様たちが作ってくれた素敵なおくりものです。

 

 平で、美しく、人の足や動物の足、それに車の輪を気持ちよく支えてくれます。

 そのような素晴らしいおくりものを、名も知らぬおじい様たちが作ってくれたのです。

 道をとおって、素敵な物や、素敵な友情に思い出が来てくれるのです。

 道がないと、それらの素敵なものが迷子になってしまいます。

 

 ジャンの家に、ロジェとマルセルにベルナールとジャックとエチエンヌが道を通って向かっていました。

 五人は海へ続いているという国道を通っていました。

 ジャンの家へは一キロ歩かなくてはなりません。

 

 五人はお母さんと約束をしました。

わき道をしない、ふざけない、馬や車をちゃんとよける。

 そして、一番小さいエチエンヌのそばをはなれない、という約束をしたのです。

 五人はきれいに一列になって進んでいました。

 

 一つ問題がありました。

 エチエンヌが小さすぎるのです。

 小さいエチエンヌは一番後ろです。

 四人はしっかり前を向いて歩きます。

 エチエンヌはその小さい体をいっしょうけんめいに使ってついていきます。

 

 哲学者は原因があれば結果がおこることを知っています。

 四人がしっかりと前を向いて歩けば、エチエンヌがおいていかれるという結果は当たり前なのです。

 しかし、四人はおさなく、哲学者でないので、エチエンヌの方を見ずに、前を進むのです。

 そして、小さいエチエンヌはいっしょうけんめいに走ったり、声を出したりして追いかけるのです。

 

 世間の強い人と同じように、四人は小さいエチエンヌを、エチエンヌが小さいのが悪いとでもいうようにおいていくのです。

 この四人の強い人たちはカエルを見つけました。

 カエルは草原というカエルの王国へピョンピョンと、とんで向かっていました。

 命の美しさを自慢するような緑色のカエルが、四人には緑色の宝石に見えました。

 

 四人は、エチエンヌのことも、お母さんとの約束も忘れ、その宝石を手に入れようとしました。

 その宝石はピョンピョンと沼の方へとんで行きました。

 ベルナールとマルセルにロジェとジャックはその宝石を追いかけました。

 そして沼に入り、四人は泥の長くつをはくことになったのです。

 

 靴も靴下もふくらはぎも泥でまっくろになりました。

 エチエンヌが追い付いたら、泥の長くつをはいてしおしおとしている四人がいました。

 エチエンヌは四人を見て心の中で、喜んだり、あわれんだりしました。

 

 四人はその泥の長くつをはいて、しおしおと家に向かいました。

 泥だらけでジャンの家に行くわけにいきません。

 四人はお母さんがどれだけ怒るかしら、悲しむかしらと考えながら家に向かうのです。

 その四人の後を、清浄無垢な心を示すように、きれいなふくらはぎのエチエンヌが続いたのでした。

 

聞き伝える昔の話でございます。

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美智子皇后も読んだという名作集から。

息抜きとして楽しかったです。

 

※基本的に聞き伝えるという形で、大筋は変えずに思うままに書いております。