あぶない2000年問題
今週のお題「わたしのインターネット歴」
ほとんどの人が実際に触れるのはWindows2000からですかね。
わたしも2000からですかね。
2000年前後だと思いでは原宿にホルマリン漬け売ってるお店あったなとか、けっこうエグメの作家さんが自殺しまくったなという記憶があります。
まだ生きてる人もいますけどね。過激すぎる雑誌が話題になって消えていった年ですね。
危ない1号は95年なんですね。たしか三越でも売ってた記憶があります。
Amazonリンクあったけど買えるの?いりませんが。
確認も面倒くさい。
表紙みれば分かりますが、何回も読む雑誌じゃないですね。
最近一番ショックだったのは堀圭子さんですよね。
凄い人形作る人だったんですよ。大きいんです。家には置けないなって感じの大きさの人形様。それに高い。
ただ、迫力と色気はすごかったのでただ残念です。
NHKでも出た人形作家さんだったのですが、すごく残念です。
最近じゃない?
危ない系はもうただの思い出ですが、人形は好きなのですごくショックを受けました。
SMHはまだ家にあるはず。捨ててはないと思うんですよね。
間違って値上がりしないかな?シモンさんの人形は全裸だから全体は写すのが難しんでしょうかね。
ネットの話が迷子になってるというか、話せないな。
ふふふ
では悪いので書きますかね。
このころですかね。現代アーティストが凶悪化したのが。多重人探偵サイコの元ネタになったような人たちがあらわれたのです。まんまの元ネタではなく、そのような流れですが。
一応、アーティストが先で、多重人格探偵サイコが後です。あれの後追いをするアーティストはいなかったとだけは彼らの名誉のために言っておきます。
ガキやジャリはどうだか知らない。
よくごみでお金稼いでると言われる現代アーティストですが、問題になったのは、人権のない国で子供を食べるとか、放火をパフォーマンスとして考えるとかの本当の問題行動です。
鮫の輪切りや、牛糞で作ったキリストなど、本当にそれどうするのって作品もあります。
模倣犯が出ると洒落にならないので、なんとなく処理されていきました。
その当時は過激さを売りにした展覧会が県の美術館でも有ったほどです。もちろん18禁です。その当時のヒーローにアラーキーやテリー・リチャードソンがいます。
最初は家族の葬式から始まった死と向き合うアートは、仏教の修行のように過激化していきます。円通大師となった大江定基のように、最初は愛する者の死から、死と向き合うために最も苦しむように食材を苦しめて調理したように、血の涙を見せつけると言う表現に向かおうとしていました。
そんな覚悟も決意もない子供だましに何の価値があるのか考えればわかりそうですが、考えるだけで分からないのが人間です。
はっきりいって、過激さや狂ったリアル思考は限界が来ます。過激さや死の先は慣れと退屈という悟りです。過激さが売りの人はみな消えましたね。それ+実力の人は残りますが。実力は迫力と色気だと言ったのは筒井先生でしたかね?
彼らは教えてくれます。作品はコミュニケーションであり、思いやりとはいかなくても、目と目で通じ合う努力が作品なのだと。
なので、今も荒木さんやテリーが現役なのは納得がいきます。
彼らは力強すぎる目でこちらを見てくるからです。
意味不明にナイフ振り回して、勝手にすれ違うその行為は、それは作品と呼ばれることはないのだと。
わざわざこのブログに来て下さった貴方を私は勝手に大切に思います。